
『秋ゆく街で/オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』
リリース:1974年12月20日
レーベル:東芝/エキスプレス
収録:1974年10月26日、中野サンプラザ
Side A
1 What’s Going On
2 Medley: Your Song / Where is the Love /
You Make Me Feel Brand New / You are Everything
/I Won’t Last a Day Without You / Holidays /
Alone Again (Naturally) / Ticket to Ride /
Something / All You Need is Love /
What the World Needs Now is Love
3 竹田の子守唄
4 白い一日
5 メドレー:悩み多き者よ / 傘がない
6 青春
7 秋ゆく街で
Side B
8 水曜日の午後
9 僕の贈りもの
10 のがすなチャンスを
11 白い帽子
12 別れの情景(I)
13 キリストは来ないだろう
14 でももう花はいらない
15 アンコール:僕の贈りもの
1974年10月26日
中野サン・プラザでライヴ・レコーディング
『秋ゆく街で/オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』はオフコース(当時の表記は「オフ・コース」)の最初のライヴ・アルバムである。2枚目のオリジナル・アルバム『この道をゆけば』がリリースされてから2日後、1974年10月26日に中野サンプラザでおこなったワンマン・リサイタル「秋ゆく街で」をダイジェストで収録したライヴ・アルバムで、小田和正と鈴木康博の2人組時代のステージを記録した貴重な作品でもある。
オフコースのディスコグラフィのなかではかなりの異色作と言えるものではないだろうか。ジャケットの写真からして鈴木が楽器を持たずハンドマイクで歌っており、小田もまた手ぶら。バンドとしてのオフコースのパブリックイメージとはまるで異なるものだ。この日のステージでは鈴木のアコースティック・ギター、小田のピアノという従来の簡素なスタイルで演奏する曲もあったが、大部分は総勢17人のサポート・ミュージシャンをバックにしており、彼らは歌に専念することのほうが多かったのだ。会場は中野サンプラザ。その年の5月に開催された「第3回オフコース・リサイタル“明日への歩み”」の会場になった日本青年館大ホール(初代)のキャパシティが800人だったことを考えると、その倍以上の2200人を収容するサンプラザでの公演は彼らにとって大きな賭けだったに違いない。前年には吉田拓郎が『LIVE ‘73』を収録した会場でもあり、フォーク、ニューミュージック系のアーティストにとってはトップクラスのステージであった。
杉田二郎の事務所「サブミュージック・パブリッシャーズオフィス」のスタッフとしてオフコースのマネージャーを務めていた上野博は、渋る2人をなんとか説得。①バックバンドに『この道をゆけば』に参加したスタジオ・ミュージシャンを呼ぶこと、②ストリングス・セクションも入れること、これが彼らが出した条件だったそうで、上野はこのコンサートの様子をライヴ・アルバムとしてリリースすることで東芝EMIからの資金面での後援を取り付け、この無理難題を解決した。かくして、『この道をゆけば』の参加メンバーからドラムの村上秀一、ギターの大村憲司の名コンビを招集し、石川晶とカウントバッファローズにも参加していたパーカッショニストの川原直美、ベースに元ヴィレッジ・シンガーズの森理(おさむ)、そしてバンドマスターとしてピアニストであり、高木麻早や小坂明子などフォーク系の作品でアレンジャーの仕事を始めていた羽田健太郎が控え、まだヒット曲がなかった彼らにとってあまりにも豪華な大舞台がここに生まれた。
大プロジェクトはコンサートだけではなかった。『この道をゆけば』からの先行シングルであった「もう歌は作れない/はたちの頃」に続くニューシングルの作曲をヒットメーカーの筒美京平に依頼。作詞はチューリップの「夏色のおもいで」の成功で作詞家への道を歩み始めていた松本隆から提供を受けた「忘れ雪/水入らずの午後」をコンサートの1週間前にリリース。再デビュー後は初であり、結局これが唯一となる職業作曲家への外注作品となった。ちなみにコンサートの1週間後には同じコンビによるシングル「雨だれ」で太田裕美がデビュー。後に名曲「木綿のハンカチーフ」を生むことになる。当然のことながら自作の曲にこだわりを持っていた2人は出来合いのカラオケに歌だけを吹き込むという歌謡曲同然な会社主導のレコーディングに抵抗したが、ディレクターの橋場正敏に説得され、渋々レコーディング。当時、事務所の稼ぎ頭である杉田が実家である金光教の修行で一時的に音楽活動を休止していたため(翌75年の春に復帰)、スタッフ側としてはなんとしてもオフコースをブレイクさせる必要があったのだろうと思われる。本作のみに収録された小田作の「キリストは来ないだろう」、鈴木作の「白い帽子」は同時期にシングル候補として作られた曲だそう。そしてコンサート当日に「忘れ雪事件」は起きた。経費を負担した東芝EMIの関係者が見守るなかで、「忘れ雪」を演奏しなかったのだ。営業的に考えればこのタイミングでニューシングルを披露しない手はない。バックバンドのうち村上と川原は「忘れ雪」のレコーディングにも参加しており、この曲を演奏する編成としては申し分ない。事前に配布されたセットリストには記載があったという話もあり、つまり彼らは最後の強硬手段に出たわけである。
コンサートはなんと、マーヴィン・ゲイのカヴァー「What’s Going On」で幕を開けた。『この道をゆけば』で窺えたソウル・ミュージックへの傾倒をいきなり全開にした選曲で、リード・ヴォーカルは鈴木。新室内楽協会によるストリングスも最初から大活躍している。後奏で小田が「僕たち、いつになく今日は張り切っています。最後までごゆっくり、どうぞ」と言う声が震えている。本作はアマチュアの延長で活動を続けてきたグループがプロの大舞台に立ち、戸惑いながらも立派に目的を果たして祝福を手にするまでの様子が記録されたドキュメントになっている。前半はそれまでのステージでも披露されていた洋楽カヴァーを大編成で演奏。エルトン・ジョン、ギルバート・オサリバンらのシンガーソングライター、スタイリスティックやロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイといった洗練されたソウル、そしてビートルズとカーペンターズとバート・バカラック。彼らの音楽的なバックグラウンドがよくわかる選曲だ。続いて、赤い鳥の「竹田の子守唄」、小椋佳の「白い一日」、斉藤哲夫の「悩み多き者よ」、井上陽水の「傘がない」と、オフコースのライバルと言える同時期のフォークシンガーの楽曲をカヴァーした。本作は当初、2枚組で完全収録されるというアナウンスがあったそうだが結果として1枚ものとしてまとめられ、このパートからは泉谷しげるの「春夏秋冬」、吉田拓郎の「今日までそして明日から」、ザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」のカヴァーがカットされている。
前半の最後には、鈴木と小田がそれぞれひとりになり、このコンサートのために書き下ろした新曲を初披露した。どちらもコンサートのタイトルである「秋ゆく街」というフレーズにちなみ、これまでの活動の総括とこの日への決意が感じられる楽曲となっている。ギターの弾き語りによる「青春」で鈴木の歌声が広い会場に響き渡るさま、小田の「秋ゆく街で」でストリングスが寄り添うように入ってくるさま。間違いなく本作のハイライトと言える2曲だ。ピアノのフレーズが歌いながら弾くにはあまりにも複雑すぎるので、「秋ゆく街で」で小田はピアノを羽田健太郎に任せて歌に専念しているのではないだろうか。続く「水曜日の午後」は小田と鈴木の2人だけの演奏で、右チャンネルから聴こえていたピアノの音が左に移るので、おそらくそうだろうと思う。後半はようやく彼らのオリジナル曲が中心となり、「別れの情景(I)」では大村憲司の名ギターソロがステージでも再現されたが、残念ながらフェードアウトでの収録。他にもステージの後半からは「新しい門出」「よみがえるひととき」「すきま風」「はたちの頃」「さわやかな朝をむかえるために」「もう歌は作れない」「ほんの少しの間だけ」「地球は狭くなりました」がカットされた。チューリップが「心の旅」でブレイクする以前の作品のマルチトラックテープは破棄していたという東芝のことだから、おそらく事務所のスタッフが個人的にコピーをとっていない限り、本作の完全な音源は残ってはいないだろう。
完全収録ではないのは残念だが、ライヴならではのハプニングはしっかり収められている。ステージ本編最後の「でももう花はいらない」を前に、ひとりのファンがステージに花束を置いて「オフコース万歳!」と叫ぶ場面がそれだ(ちゃんと観客用のマイクが拾うように声を出している。用意周到)。その後に続く2人のMCもまた名場面で、「本当にこんなに大きなところで…」と言い合う2人の言葉からは、学生時代から続く音楽活動がようやく実を結んだ感慨がひしひしと伝わってくる。エンディングはそのままメドレーでサポートメンバーの紹介も兼ねた「What’s Going On」のリプライズ(レーベルに記載なし)。各メンバーのソロ回しがなかなかの聞きものだ。小田が紹介のタイミングを誤り、大村のギターが先に飛び出してしまうところなど、なかなかにスリリング。終演のアナウンスも構わず鳴り続ける拍手に促され、最後はアコースティックギター2本のスタイルで「僕の贈りもの」を歌って本作は幕となる。当日は荒井由実やハイ・ファイ・セット、チューリップのメンバーといった、東芝エキスプレス・レーベルの仲間が見守り、招待以外でチケットは1500枚が売れたという。どうにかこの日を乗り越えることはできたが、しかしそれがすなわち彼らのブレイクを意味するわけではない。大きな充実感と暖かい声援の反面で、次のアルバムは? 「忘れ雪事件」の余波は? これから向き合わなければいけない問題が彼らにはいくつもあった。果たして思いのままに突っ走ってしまって良かったのだろうか? 表向きは大団円で終わる本作の影に、映画『卒業』のラストシーンを思わせる不穏なムードもまた感じるのである。オフコースの名前を全国区に押し上げたシングル「さよなら」のリリースまでには、まだ5年の歳月を必要としていた。